読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハッピードムドム by完全にノンフィクション 小野恭介

完全にノンフィクションというバンドのドラムスでございます。バンドのことをより楽しんでもらえればハッピーです。ドムドム。

プロダクト プレースメント 3

  私が漠然と未来だと思っていた「2015」という西暦の数字が現実のものになって未来に来た気がしたかというと全くないが、地続きの生活と関係のないところで不意にこの数字に出くわすと心躍るのは本当だった。気が付くと夏らしさもなくなって、冬は夏が終わる頃から混じっているから気温が高くても景色のそこかしこがもう冬だった。私は秋が好きだから今年もわざわざ探しだして噛みしめなければならなかった。そのためには晴れていることが条件である。雨や曇りだと目に入る風景が冬に見える私は絵もスケッチの段階から屋内で描くが、実物よりも写真よりも気ままに空想を織り交ぜて描くほうだったから記憶の映像というものが下地として必要だったし、空想と言っても心象風景という類のものではなく、理由は人物を立たせたいからだが、風景は即物的なほうが好ましかった。
  と言っても一応は携帯で写真は撮っていて、私の風景ばかりの画像フォルダはこの機種になってからの約二年で膨大になっていた。一度に似たような写真をいくつも撮るからだが、写真はレンズの角度が少し変わるだけで映えてくるものが違ってくるのに対して視覚はそこにほとんど意識が向かないのを危惧してのことだ。私は視界に向かって、何も把握できていないままに手当たり次第にシャッターボタンを押していた。何か引っかかるものがもっと出てこないかと当てずっぽうに、しゃがんだりレンズを頭より高くしたり左右へ一歩ずつズレてみたり、といった具合いに。
  画面をタップして画像フォルダを上のほうへ送り初めの頃の写真を見てみる。一見風景の写真に見えるがハンバーガーショップのウインドウを背にして絹沢がいるのを横断歩道の向こうで見つけた私は画面を横向きにして遠巻きに撮っていた。彼はこちらには気が付いていない。ただ佇んでいる、といった風情だが、このとき彼は待ち合わせに遅れるかもしれない私を待っていた。私は合計五枚似たようなアングルで撮っていたらしいが、縦より横の、そして被写体である絹沢を右端に置きしゃがんで撮っていると思われる三枚目のやつが一番良い。彼が右端でアングルも低めなのはそこが商店街の入口であり背が高くどっしりとしたアーケードの立派な様子を画面中央に置きたかったからだろう。それをすべてフレームに収めようとしているらしく見上げるような角度で撮られており、ちょうど中央に商店街の奥行きが感じられる出来になっていた。あまり関係がないが日本一長い商店街、とどこかで聞いた憶えがある。たくさんの歩行者がいて、車もいた。見た人はこれを有名な商店街を正面から撮った風景の写真だ、と思うが右端のここに絹沢がいて、それも真ん中から右端に私はわざと動かしたのだからこれは絹沢の写真だ。今のところ、この約二年間誰にも見せていないのだからそれで間違いない。
  そこにあるのは2013年の空気だった。今2015年にいる私の目はこの画面に触れ、それを眺めている。そこに二年前の絹沢が写っているように二年前の私がいる、と感じるのは二年前の私の視界を今の視界で見た時にブレのようなものがあるからだ。そこにいる絹沢と同じで私はこの二年それほど目に見える変化はないのだが、この商店街のアーケードの門構えや右手のハンバーガーショップの外観がそこに行けば変わらずにある、という確かさには劣る。嗜好、呼べばいいのか、関心、と呼べばいいのか、根本の性質は変わらないのだけれど今ここで絹沢と待ち合わすことがあっても私はこういう風に写真を撮らない。一度撮ろうとはしても、このアングルは少し気取っているかもしれない、と思い直して絹沢の真正面に立つように撮る。しかし確証はない。なぜなら行為は自分の意思のみではなく外からの影響や働きかけによって決定させられる側面があるからで、科学的な論証としてではなくこれも最近の私がそう感じている、もとい感じさせられている関心の一つというだけなのだが、私は私以外の人に伝わるように「側面がある」と言ったけれど、側面と呼んだそっちばかりを見ているから大半の行為は外からの影響や刺激に対しての反応に見える。2013年の私がそうした、というこの一枚も、2013年の空気が私にそうさせた、とも言えるわけで、実際問題そんなことはどっちでもいいのは自明の理だが描くことに対して作品本位になりすぎるきらいのあったこの頃の自分を省みることに意味はある。なので2015年になっても尚この場所の空気が私にそうさせたとしても私は構わなかった。自分の好みであるかどうかは重要ではないのだ。だからこの三枚目のアングルが今の私の好みじゃなくても一番良い。作品として良いのではない。私は写真家だったことは一度もないから感じているのは写真芸術としての魅力じゃなくてシャッターボタンを押す勢いだとかアングルを定めるときの息遣いのようなものだ。

  作品は、紙の上ではなく行為のほうにある。私は絵を描いて、描き上げて満足したことがなかった私を超えようとしてきた。だが超えられているのは新しい絵を描いているその間だけだった。絵画というのはつまり描くという行為の痕跡だ。そこに現出している何かは観賞する側には百%の状態として目に映る。私は絵を人に見られるとき満足していないから恥ずかしい。これ以上手を加えようがないくらい加えた末に完成してはいるのだが、私の実力そのものが足りていないと感じる。そこに現出している何かはどこか頼りなげで物足りない。それが私の省みる作品本位な考え方というものだった。私は現出させる行為を高めるべきであって痕跡の見栄えを気にしても仕方がないから、描いているその間にどれだけ集中できるか、私は芸術は行為であり態度のことだからトランス状態に持っていくのはそういえば絹沢や游児のバンドのライブもそうだ、一枚の絵に掛かる時間の長さやタッチの重さや引かれる線の速さが必ず痕跡のなかで息づく、あるいは脈打つ、集中を欠いて手を抜くとバレる、作品はそれら動きのなかにあり、痕跡から遡り創作の現場を辿っていく型式のライブなのだ、という考えを絹沢に話したのは2014年の春頃だったと記憶しているが、それ以降新作は発表していない。もちろん絵は描いている。しかし作品としてウェブ上にアップしたりギャラリーに持っていったりはしていなかった。仕上がった後の出来の良さについては全然意識しなくなった。描いたものを見返すこともあまりしない。基本的に残さないからたまに気に入ったものがファイルに挟まれているがそれは最近お前の調子はどうだと訊いてくれる何人かの親切な友達に見せるために残してあるようなものだった。
  描かなければ、と思う気持ちはそれまでと同じでずっとある。しかしそのなかにあった作品を世に出していかなければならないという部分が薄れていた。私にあったそうした部分はつまるところ自我、エゴというやつで、もっと端的な言葉で言えば見栄を張っていたのだ。以前の私は私が何者かであることを確かめたがっていたが、いつからか絵を描くことで何者かであるかのように振る舞っていた。それらは微妙なバランスのなかで保たれる。はっきりと自意識を掲げて何かを表現する芸術家になりそびれた私は創作する支えのようなものはむねのなかにしかないから人に褒められて浮かれていたかった気持ちの行き場にも困っているしこのままでは何者にもなれないのだがその状況が相対的に自我を救っているのは確かである。もちろん描いている間に自我のことは頭にないのは言うまでもない。だから、いよいよ本当に手を抜かずエゴを棄てて描くという行為に没頭することでしか成就しない命である。シンプルでとても良かった。
  日々描く、ということをしていると私はさっきも言ったが絹沢や游児といったバンドをやっている友達のことをよく考える。厳密には彼らの、楽器を弾いている姿だ。ライブでは絹沢はベースを弾いている。游児はギターを弾いて歌っているが、高校の時はタイコを叩いていた。その時絹沢は同じバンドでギターだった。私は楽器が弾けないから、どうしてそんなに複数の楽器を弾けるようになるのか、そもそも一つの楽器を上達していくプロセスを知らないのでコツを掴んだらどれも同じだよと言う彼らの言わんとするところが全然わからない。どうしてギターとタイコが同じなのだ。意のままに音を出すためには身体が慣れるまで練習しなければならないところまではわかっている。その割に二人ともピアノはできる気がしないと言う。絹沢はバイオリンの購入を検討していて、游児は河原でトランペットの練習をしている。元々は一つの楽器に興味を持つところから始まったはずである。その一つ目が肝心なのではないか、私は思う。初めての、技術的なことを一つ一つ段階を踏んでクリアしていく、その日々が演奏することのイメージとして蓄積されていく。何でも初めは初歩の技術的なことから入る。技術はただの技術でしかなくて、それだけでは作品を作れないように彼らもきっと演奏を見せるときそれは一つの支えのようなものでしかない。ライブショウは技術発表会ではないけれど、楽器を習得することはそれを磨くことから始まる。その時点では使いこなせていないから楽器はまだ道具ではない。そいつの特異性を見つけて自分の肉体を寄せにいく段階だ。

  表現する方法が掴めてくると格段に楽しくなるだろう。私は自分が高校時代に絵を描き始めた頃のことを懐かしみながら推測している。だから全然違うかもしれない。

  初めは自分のことを表現するのは自然なこととして、そこから先、何を描くか。演奏の技術、表現の幅や深み、自分の持っているものを総動員することを創作のよろこびとするなら、今自分が興味のあること、ずっと関心を抱いていることをそこに込める。2015年で彼らは楽器を始めて十年近く経っている計算になるから常にその気持ちが備わっているはずである。それは遊んでいる時なんかに部屋で聴く、彼らがなんとなく弾くギター、作りかけの歌、がそうなっている。楽器に触れてきた日々、というものが物理法則を無視した厚みとして感じられる。不思議なものだな、と思う。感動はそういうところから不意に湧く。絹沢の歌詞は情景を俯瞰したようなものが多く、比べると游児は主観的な視点で歌っている。これも書いてきた日々がそう形作った暫定的な結果だ。絹沢はバンドでは歌わないがカラオケなんかに行くと、がなるように歌う游児とは対照的にはっきり声を出して丁寧に歌う。陳腐な表現で彼に悪いが、透き通るような声をしていて、音も外さなかった。
スピッツみたいだ」
  私は言った。
「そんなに上手かったらボーカルをやってる。それに、」
  絹沢はマイクを置いて「あんな高いキーは出せないな」と言った。游児のブルーハーツが始まって、もう一人稔という、同じ高校の友達がアジアンカンフージェネレーションの曲を入れた。私は絹沢にスピッツを歌ってほしくてキーのあまり高くない歌を予約しておいた。稔は私たちはカラオケはあまり行かないがたまに行くといつも決まって部屋の照明を落とす。自然と視線は画面に流れるがそれを意図してのことじゃなく、稔はもっとムード的なものを出そうとしているのは確認を取っていないが今ここで厳密に証明できなくたってそうに決まっている。私を含め他の三人はカラオケボックスにおけるムードには無頓着だったから、稔がいないと部屋は明るく、入った時に照明が落とされた状態ならそのまま歌い始めるし、必要になったらツマミを全開にして明るくする。と言っても実際はそんな出来事は今までに一度もない。私たちは稔がいなかったらカラオケに行こうという発想にならなかったからだ。稔がカラオケに行こうと言うから行く、そんな日もあるけれど、稔と絹沢と游児と私で遊んでいると誰ともなくカラオケに行きたくなって発案した。
  稔のアジアンカンフージェネレーションのモノマネが終わって私は次のスピッツの曲を歌う。結局絹沢はこの時期のスピッツはあまり知らなかったから歌えないと拒んでその『水色の街』という曲は私が歌うことになった。私は歌っている時は気持ちが良いがそれが他人に気持ち良く響いていないことはコンプレックスとしてあったから歌うことには恥ずかしさがつきまとうけども、カラオケに来たからには積極的に歌うようにしてる。問題は出している声の周波数が低いからピッチが悪く聞こえる、ということだそうだ。だから私の『水色の街』は全然スピッツじゃなかった。ピッチが低い私のスピッツは本来の透明感を失ってなんだか不穏な気配のするストーカーの宣誓みたいになっていたのだろうけれどそれがウケた。行き慣れたメンバーでカラオケに行くとみんな気ままに自分の歌う曲を選ぶことを楽しむから人が歌っていても半分程度にしか聴かないのでうまく成立する。絹沢は私の『水色の街』の間に別のスピッツのヒット曲を入れて次に歌ってくれたのだが、このときばかりは耳に集中して全部聴いたがやはりちゃんとスピッツになっていたので安心した。
  トイレから戻ってきた游児が私の知らないクロマニヨンズを歌い始めて、さて次は何を歌おうかとそのことで頭をいっぱいにする私のただ映っている視界のなかには照明が落とされた薄暗い環境と言えども様々な情報があって、熱量を帯びた游児は立ち上がる、タッチパネルで曲を選んでいる稔のメロンソーダがなくなりかけている、絹沢はストローでアイスコーヒーを啜りながらそのグラスを見つめている、画面に流れる映像は今日何度も見ている使い回しのもので私はこのカラオケ用の映像を撮影する現場を想像してみたりするのが好きだ。游児のクロマニヨンズで聴こえないけれど絹沢は稔にテーブル越しにグラスを指して何か言っているのが視えているのは私が游児のクロマニヨンズを半分程度にしか聴いていなかったからで、もう半分は次に自分が入れる曲を考えていたけれど半分以上残っているように見える私のウーロン茶は実はほとんどが溶けだした氷なので絹沢がインターホンでドリンクを注文するなら私も便乗したい、と絹沢を見る。視界の端では立ち上がっていた游児がさらにソファーの上に乗った。咄嗟に足元に目が行って、ちゃんと靴を脱いでそうしているのを確認して視線は絹沢に戻る。俺も、と、私はグラスを指差してアピールし絹沢が頷いたとき、歌詞の流れる画面の右上に稔がたった今入れた次に歌う曲のタイトルが表示されたのが視えたけれどアルファベットだから読めてはいない。
  稔が入れたのは『PROFESSIONAL  IDOL』という完全にノンフィクションの新曲で、私も知っている曲だったがカラオケに入っているのは知らなかった。「お、完ノン」と游児が言った。「指でギター弾いてるPVのやつな」と、ジェスチャーした。普通ギターを弾くジェスチャーはピックを持っているから右手は拳の形になるが、游児はストロークの度に指を伸ばして手の甲全体が見えるように弾いた。「あれって爪をコーティングしてるんでしょ?」絹沢はインターホンを耳に当てたまま言った。忙しい時間帯なのか、従業員不足なのか店員がなかなか出れないらしかった。タイトルと作詞作曲が出てすぐに曲が始まる。作詞作曲をしている人と歌っている人と爪をコーティングしてギターを弾いている人は確か同一人物だ、と私は表示された別所英和という名前を見て思い出した。私は完全にノンフィクションは知ってからすぐ活動休止になったからよく絹沢たちとライブを観にいっていた時期と重なっていて観てみたいと思っていたときに観れなかった。音源はデータで持っているから聴いていた。最近はめっきりライブに行っていないし日常的に音楽を聴く時間もかなり減ったのだが、いつ間にか休止が終わっていたらしく二年近くぶりにリリースされた完ノンの3rdは西宮で遊んでいるときにHMVでたまたま見つけたから買った。ジャケットが前作と色違いになっていて、その抹茶プリンのような緑色の裏ジャケには収録曲のタイトルが明記されている。その一曲目が『PROFESSIONAL  IDOL』だった。このときも私は他の曲のタイトルは一目ですっとわかるがアルファベットだといちいちつまずく。読む、という気持ちで字を追わないとプロフェッショナルアイドルだとわからなかったその日のことが稔がカラオケで選んだことによって思い出された。私は指でギターを弾いている完ノンのPVが流れることを期待したが、映像はカラオケ用のこれもまたしょっちゅう見るやつだった。
  音源を聴いてみるとこの読みにくいタイトルの曲が3rdのなかで一番好きだが完ノンの曲はカラオケにはその一曲しかなく、それをカラオケで発掘した稔と、何度もライブを観たことがある絹沢と游児がいるなかで例えば次にカラオケで遊ぶ機会に私がこの曲を入れても良いものか、気が引ける、という気持ちになるのは稔が歌っているのを聴いて私も歌ってみたいと思ったからだ。私はこのメンバー以外でカラオケに行くことは滅多にないし、そんな機会があったとしても気兼ねしないメンバーはこの面子だけだから歌いたい曲を入れる、という発想とは別のことを考えながら選曲するから『PROFESSIONAL   IDOL』を思い出さないのではないかと思う。だったらいっそのこと、と、私は自分の番でも『PROFESSIONAL  IDOL』を入れた。二曲続けて『PROFESSIONAL  IDOL』だ。私は、
「俺にも歌わせろ!」
  と勢いで誤魔化しながらマイクを握って立ち上がる。
「間違えて入れたんじゃないのかよ!」
  と游児が言った。歌い終わったばかりの稔がオンマイクでゲラゲラ笑ったのが響いた。
  歌ってみると思ったよりキーが高く、私は
メロディーの低いところは大丈夫だがサビの裏声になる箇所から声は裏返ったままフラフラ揺れてピッチが低いから私以外は聴いていてもっと気持ち悪かっただろう。稔はモノマネが得意で、モノマネが上手いということは歌のピッチに関しては抜群に良いということだから稔の後に歌ったのもまずかったがそれは関係ない。私は歌が裏返っている間に従業員が絹沢の注文していたドリンクを持って入ってきたときに恥ずかしさが増幅したから自分でもやっぱり気持ち悪かったことを認めざるを得ないし従業員は絶対に顔には出さない、と言うか、耳に入る客の歌なんかにこころを乱されないように仕上がっているから聞こえていないはずなのだが、しかし私は游児と絹沢と稔以外の前で歌っていると思ったら恥ずかしくて、そうすると游児たちに対しても恥ずかしい。『恥ずかしいこと思い出してまた恥ずかしくなって』という曲が完ノンの3rdに収録されていたがそれはこういうシチュエーションを歌ったものではなくて、私は次の曲の『2015年感覚』が二番目に好きだ。タイトルを見たとき、この人にも日々の積み重ねがあったのだろうと想像した。それは地続きで私がしている暮らしに唐突に垂直に刺さった感じで、不意に誰かの、完全にノンフィクションや別所英和という人物の日々だけでなくて、知らない誰かも、游児も絹沢も稔も、2015年まで各々に固有の何らかのものを噛み締めて生きてきたんだよな、という感慨だったが、こう言葉にできたのはカラオケを出て家に帰ってる途中にだったからHMVで裏ジャケのタイトルを見てから一ヶ月半近く経っていたことになる。私は自分が完ノンを全然歌えなかったから歌は駄目でも絵はずっと良いものが描けるようになったよ、と言っているだけかもしれない。