ハッピードムドム by完全にノンフィクション 小野恭介

完全にノンフィクションというバンドのドラムスでございます。バンドのことをより楽しんでもらえればハッピーです。ドムドム。

長い日記

  前回のやつを書いてからもずっと、その通りに過ごしている。音のこと、狂ったように散歩をしていること。
  それで何か変わったかと言うと随分変わってきた。そう自分では感じている。確か前回と今回との間に二回ライブがあってやっぱりライブは気付くことが多い。平たく言うと自信の何もかもを失った。ようやくそこから芽生えた自覚や始まったものを大切にしている。
  失った自信を取り戻すためじゃなく気付かず過ごしてきた時間を取り戻すためにしなければならない。

  とにかく練習だ。

  個人練習は大体いつも二時間スタジオを借りるが全然時間が足りない。それは三時間入っても五時間入っても同じで、昔から限られた時間の中でしかドラムセットでの練習はできないから、いつも最後は「もうちょっと叩きたかったな」で終わる。満ち足りたことはない。こんなに難しくて楽しくて奥が深いものはこれ以外僕は今までの人生の中ではちょっと経験がない。なのでまた次早くスタジオ入りたいな、という気持ちで帰る。確実に体力が削られている。
  ヒントはどこにでもいくらでも転がっていて、試す価値のあることはとにかくやってみる。頭のモードがそうさせるのか置かれている立場が気付かせるのか、やってみて割とすぐに感触がわかる。ヒントは答えを導き出すんじゃなくて感触をわからせる。答えなんかない。だけど完ノンには明快な音像、「音の正解」はある。今やっていることはありもしない人生の答えみたいなのを探す無謀な旅じゃなくて、単純に正解の音を出すことだ。文章というのは常に変な誤解を招くからわざわざこんなことまで書いて、でも伝えたいことは楽器の音だから、だからやっぱりライブに来てほしい。そうすれば一発で伝えられるから、その点は表現として音楽は素晴らしく優れている。

  別にそんな話は今したかったわけではないので戻すと、
「感触がわかる」の次は「身体を慣らす」で、これこそ反復しなければどうにもならなくて本当に時間が足りない。スタジオの防音扉の中がドラゴンボールの「精神と時の部屋」のように外の1日が中では365日だっけか、になってたらいいのにと思う。そしたら二時間の予約でも約一ヶ月くらい好きなだけ練習できる、とか算数が苦手なくせに計算してみるほど時間が足りない。
  足りない時間は要領で補って一刻も早くいい音が出せるようになりたい、と思っている。僕は何か一つの動作を行う時の要領は悪くない方だ。だけど長い目で見た場合の結果が今だ。要領が悪かったんだと思う。

  ただの日記になってしまった。
  ついでだから日記を続ける。

  僕は完全にノンフィクションはもっと評価されてもいいのにな、と思って生きている。正当な評価、という言葉の意味はよくわからないけれど、何か原因があって自分のしている評価に周りが届かないのならこれが現実なんだなと思う。まさしく正当な評価なのかもしれない。その原因は何なのだろうか、とアレコレ考えてみる。そして自分が原因なのじゃないか、というところに着地する。僕は僕の場合しか知らないから同じような思いをしているバンドマンがどれだけいるのかわからないけども、信じてやっていたことが思うように評価されない時、それを受け容れるまでの時間に何を感じるかで今後が変わってくる。で、今回は明らかに、少なくとも僕は間違っていたんだと思ったからこんな話をしている。
  さっきドラムのことをこんなに難しくて楽しくて奥が深い、と言ったけども最近のそれは難しさも楽しさも奥深さも何十倍も大きくなった状態で、ほんの数ヶ月前までの感想とはワケが違う。規模も意味も違う。いてもたってもいられなくなる。スタジオに入る。試す価値のあることを試す。なるほど、そういうことか!  じゃあこうしたらどうだろう、ああ、これはいい!  あ、もう時間か。もうちょっと叩きたかったな。次早くスタジオ入りたいな。そして帰る。確実に体力が削られている。

  スタジオに入ってからの一連は自分を俯瞰してみるとドラム始めたばかりの高校生とか大学生みたいだ。痛感したことの一つに、実際僕の出していた音はそれに毛が生えた程度のもので、確かに二十代の大半がドラムから離れた生活だったのだけれど、ひどく長い間一種の誤解と言うか、浅い理解のまま過ごしてきた、そこまではまだいい。問題は完ノンに入ってからの三年くらいの期間の方で、僕の浅かった理解はなまじ時が経過したせいでなかなかそこに原因があると気付かず愚直に手足をばたつかせて練習していた。ドラムという楽器の構造や人間の肉体、うまいドラマーも超人ではなく人間であるということをちゃんと理解できていなかったのだ。なんであの人はあんなにドラマーなのだろう、きっと身体の出来が違うのだ、センスがすごいんだ、何年も努力を惜しまず一途に続けて獲得したんだ俺のように他のことに目移りしなかったそういういう人だけが本当のドラマーなんだ。
  そうじゃない。
  と今は思っている。すごすぎて人間業には見えなくても、人間が叩き出してる以上不可能ではないんだと、それが最近わかって、難しさも楽しさも奥深さも何十倍も大きく膨れ上がった。もちろん持って生まれた素質や育まれたセンスや惜しまない努力がそれを可能にしているのだけど、そういう人が最も「人間らしい」と言うか、いちいち美しい。かっこいい。憧れる。前は超人に憧れる感じだったけど、今は人として尊敬している。

  と、わかったところでどうするか。
  自分もそうなる! じゃなくて、できること、やりたいことを冷静に考えてみる。僕はやっぱり「完全にノンフィクションのドラマー」になりたい。
  立場は今すでにそうなのだけれど、上記のこと、ここ最近の感触、前回と前々回に書いたことを踏まえてやっぱりそう思う。まだなれていない。もっと評価されないのは自分のせいじゃないか、こいつと戦い続ける。そして三人でどうすればいいか考えたりより良い音楽をしていきたい。
  前回書いたことと同じように、その通りに過ごしているけれど内容や密度が変わってきたので書いてみようと思ったら長い日記になった。読んでくれてありがとう。


  余談だけど最近は次の日が休み、というタイミングで深夜にスタジオに入るのにハマっている。疲れているのでハイになる。そして電車がないから三、四十分かけて歩いて帰っている。これが散歩も兼ねていて良い。確実に体力は削られている。ドラゴンボールに出てくる回復する液体のカプセルに入りたい。そして全回復したのちまた散歩に繰り出・し・たい!