ハッピードムドム by完全にノンフィクション 小野恭介

完全にノンフィクションというバンドのドラムスでございます。バンドのことをより楽しんでもらえればハッピーです。ドムドム。

MINAMI WHEEL 2016 出演します

  完全にノンフィクションがミナミホイールに出演することになりました。
  三年ぶり二度目。
  三年前、完全にノンフィクションはSUN HALLで演奏した。僕は客席からそれを観ていた。確か最前列だったと思う。ステージに幕が下がったまま行われたサウンドチェックは開幕戦というテンポの速い曲で、ヒリヒリと緊張感が伝わってくる。音が止んで僕は隣にいた山下君に、
ハイハットのオープンクローズが、」
  と言った。
「え?」
ハイハットのオープンクローズがカンペキやな!」
「おお!」
  山下君は笑顔だった。当然僕も笑っていた。そこから約五分、幕が開くのを待った。待つ間、いつもと違ってまるでこれから自分がライブするみたいに、少し緊張したのを憶えている。
  そうして幕が開いて、完全にノンフィクションはいつもと同じSEで登場し、とてもいいライブをした。僕は始めこそ緊張していたものの、観ているうちにいつもと同じとてもいいテンションになっていた。本番で演奏された開幕戦もまた、ハイハットのオープンクローズがカンペキだった。

  そしてなんやかんやあって三年経った。

  とても言い尽くせないくらいたくさんのなんやかんやがあったことを、ミナミホイールという言葉に触れると思い出す。半年以上前になるが難波ロケッツ閉店、という言葉を聞いたときもそうだった。新しい曲も増えたし、昔の曲がリアレンジされたりもした。別所君の使用ギターは長年ずっと同じだが弾き方が三年前と全然違うし、少しマニアックな話だがサウンドの重心が低くなったし。よう見たらドラマー違うし。まぁ上野君は相変わらずかっこいい。中音に関しては三年前と比較できないけれど、昔より音のど真ん中にいる気がする。
  これらなんやかんやは日頃からひしひしと感じているわけではなくて、普段バンドは生活に溶け込んでいるため目標なり課題なり感じるところと向き合うばかりです。そして完全にノンフィクションというバンドを考えたとき、なんやかんやあるけど変わらないものがある。それは言葉でうまく説明はできないことだけどその変わらない部分が僕は好きで燃える。
  以前にも触れたことがあるけれどこの世にはすげえバンドがたくさんいる。僕的にはわくわくするようなバンドがたくさんいて、音楽シーンに詳しいわけではないからまだ知らないバンドも山ほどいるが、経験的にまだまだ山のようにいいバンドがいるんだろうな、と確信している。バンドにはそれぞれ固有の成り立ちがあるからそれはまるで人との出会いのようでもあるけども音楽はあくまで情報としての側面が強く、しかしそれは演者の言語やシュミや生き方を抽出したものだから初対面でも煩わしい前置きが不要でいきなり通じてしまったり受け手の感受性の方向次第でもっと共鳴したり高揚したりむちゃくちゃ笑えたりじんわり泣けたりする。初対面のひとらやのに。ミナミホイールはたくさんバンドが出る。知ってるバンドもいるし僕自身はまだお目にかかったことのないバンドもたくさんいる。好きなバンドでリレーしていく楽しみ方ももちろん最高だけど知らないバンドに出会うのもライブサーキットの醍醐味だと思います。来場される方々のシュミや生き方にぴったりくるような知らないバンドに出会える場。本来規模の大小を問わずライブイベントとはそういものであった、と、今更ながら喋ってるうちに再認識。

  完全にノンフィクションの成り立ちはとてもシンプルで高校時代の軽音部のメンバーで構成されている。
  色々となんやかんやはあった。別所君と上野君は高校の外でヴィジュアル系バンドもやっていた。完ノンの前身バンドは初めはオリジナルメンバー三人だったがなんやかんやあってベーシストが何度か変わったが上野君は戻ってきてバンドは完全にノンフィクションとしてリスタートした。
  そしてライブの日々。いくつもの素晴らしいバンドとの出会い。音楽的実験。グルーヴの進化。全国リリース。「バンドプロジェクト」への移行。海外遠征。全国ツアー。活動休止ワンマン。これらを僕は近くで見ていた。ライブを見に行った回数も当時ならぶっちぎりで一位だった。よく別所君が運転する車でドライブした。それは作曲のインスピレーションを得るためだ。飲み屋で一緒に新曲のタイトルを考えたりもした。メンバーになる以前にも何本かミュージックビデオに出た。言うなればバンドの「裏側」を目の当たりにしてきたわけだけど、僕が加入してからのなんやかんやも含めて来年で10周年を迎える完全にノンフィクションの歴史は僕たちの出会ってからの15、6年間のなかに組み込まれていることにもなる。なのでそれらはバンドのためというより友達のためでもある。僕がメンバーになったのも二人と友達だったからだ。
  上野君がツイッターでミナミホイールは時季的に高校の文化祭を思い出す、と言っていて熱い。14年経ってまたあの空気を感じることができる、と。これは個人個人のむねのなかに宿ることだが、バンドには来年10周年のタイミングがあり、熱い。この二つの熱を融合させることが相乗効果を生むと信じる。そしてそれは完ノンが獲得し循環させていくべきエネルギーだ。特定の条件下にしか生まれない天然資源のようなもので、学生時代の友達同士でバンドをやるのは別に珍しくも新しくもないけれど十代の間に共有した感覚はバンドをやるうえでしっくりくる。バンドの成り立ちはバンドごとにオンリーワンだし、演奏のグルーヴも単に音の重なりだけじゃなくて耳や目で知覚できないレベルでオンリーワンが巻き起こっているのはどのバンドを観ても感じるが、それは必然性というやつだ。それは音や姿の形のなかに顕れる。僕の個人的な感情が今回のミナミホイールとたまたま重なってくれたおかげで完ノンの成り立ちだとかにも目を向ける機会になった。もっともっと続いていくと今以上にまるでバンドをやるために出会ったとしか思えないくらいになるが、やっぱり違うのだ。僕にとってはただ友達とすげえわくわくするようなことをやれている貴重な場所の一つで、それらは有機的に結びつく。
  それにしてもこの世のバンドたちはどこへ向かうのか。多分ほとんどのバンドがそういうことじゃなくてエネルギーの塊になってそこにいる。どこへ向かうでもなくたどり着いた場所が本当の世界だ。心斎橋のそこかしこが本当の世界だ。電車やバス、自転車や徒歩で皆様に心斎橋にお越しいただくけども、ミナミホイールに点在する世界の数々は時間毎にまったく違う表情を見せ、日頃の心斎橋よりも異次元への扉が開かれている。そういうSF的なエリアだ。ライブハウスとは素晴らしい場所で演奏が鳴ればそこにいる人の記憶やこころの場所と繋がる。たった一つの音楽がそこで聴いた人の数だけ高揚したり笑えたり泣けたりする多様性をはらんでいる。
  三年前は真正面から完全にノンフィクションを楽しんだが今回は二人の背後に回り背中を見ながら楽しませてもらおうと思います。

ワンシーズンに一回くらいしかブログ書いてへんやん 〜夏編〜

  完全にノンフィクションは夏の曲が多い。完全にノンフィクションというバンドを知っている人のなかで夏のイメージを持っている人はどれくらいいるのだろう。別所君は日本を代表する夏のバンドであるTUBEが好きで二十代前半の頃はしょっちゅうドライブをして、車を運転しながらTUBEをかけていた。
「夏のバンドになりたいわー」
  とよく言っていた。当時日本の夏の暑さは年々増していくようで、元々極度の汗っかきであるぼくは夏を敬遠しがちだったがTUBEを聴いている間は夏がありがたいもののように感じられ、TUBEの音楽はTUBEに対してでなく夏に対しての敬意を促す。そしてTUBEの存在はむしろ季節や自然の恩恵の側になっていた。
  ぼくは年々夏が好きになっている。別所君の見ている夏が、ぼくにも少し見えるようになった気がする。夏へと注いでいる愛情のカタチというか気配というか、在り方がぼくのなかにも存在し始めているのかもしれない。だけれどもすべては気まぐれかもしれなくて、そんなこと関係なく完全にノンフィクションの音楽は夏をやる。

真夏の公園
アイスキャンデー
28℃
DRUNK DAYS
たまに浴衣美人
2015年感覚

  ちょっと思い出しただけで夏の情景を描いてるとはっきりわかる曲がこれだけある。
  でも、ぼくには他の曲も夏に見える。
  MUSESSOU COMMUNICATIONという曲に出てくる、「それでも街は水色」という歌詞はデモを聴いたときにブワァと夏の街の風景、頭の中で大阪のキタのオフィス街が夕日を浴びていた。2/3ノンフィクションの「屋上カメラが映し出す映像」も夏だ。「午前中の東住吉区」も夏だ。「嫌んなったって月火水木金土日!」も夏だ。「西日が向かいの団地に反射して眩しい。」のも夏だ。「みんなで見れたらいい。」のも夏の風景だ、と思う。多分。
  書いた本人が頭の中でどこまで具体的な風景を描きだしているか、そして聴き手に描きだしてほしい風景がどこまで具体性を必要としているか、曲ごとに問い合わせれば多分答えてくれるだろうけれどここは音楽の楽しみ方の一つとして、勝手に想像させてもらおう。飛田新地の「青空を阪神高速がぶった斬る」は文句なしに名フレーズだと思う。ここには視界に映る夏のはっきりとした色合いがある。見上げた空と、阪神高速はとけ合わない。町の違和感と頭上を湾曲して通る阪神高速が異物としてそこに在る様子が夏の午前中の光のなかにくっきりと浮かぶ。そして、歌詞だけでなくそういった夏のイメージはサウンドによっても喚起される。
  ギターの音色。完ノンのギターの、ほどよく歪んだ音や広がりのあるリヴァーブは視覚イメージだけでなく時には匂いや肌の感覚まで刺激する。真夏の公園でずっと鳴ってる音は夏中耳にしている蝉の鳴き声のようだ。そしてアイスキャンデーの冒頭のあの音。歌詞にある、「花火大会終わって家に着いた時に優しいクーラーの涼しさ」もそうだが、それを思い出しているベランダで食べているアイスキャンデーの冷たさやそこに吹く夜風の涼しさが肌を包む。ぼくは夏の暑い日に外を移動しているとこの曲が聴きたくなってウォークマンだったりライブでやった時に録音したものだったりをかけて涼をとる。暑いから、コンビニに立ち寄ってアイスキャンデーを買って食べるみたいに、暑いからアイスキャンデーを聴こうと思う。クーラーの効いた屋内に入った時のように、涼しい、と錯覚する。風鈴の音色なんかを軽く超えていく。そこにはどんな季節だろうと頭の中に夏があり、常に夏に照準を絞った生き方をしてきた別所君の身体性が反映されている。そんな人はTUBE以外になかなかいない。冬もいいよね、なんて言ったりしない。TUBEにも冬の曲があるように、完ノンにも秋や冬を感じさせないでもない曲は何曲かある。別所君は本当は秋も好きだ。ただ、飛び抜けて一番夏が好きなのだ。
  ぼくが言えることの一つとして、夏が先にあるからTUBEがあり、完ノンもそこに属している。別所君はTUBEみたいになりたくてバンドをしたわけではなくて、夏があるから夏の曲を書く。夏を表現しようとすることもあるし、勝手に夏になっていたこともある。音楽はどこかから降り注いだりするしふいに何かと響き合う。身体の内側から湧き起こる何かは身体の外側と無関係なわけがなく、心と世界は表裏一体である。ぼくは四季がある場所で夏をありがたがっている。ありがたがれる喜びを教えてくれるTUBEや完ノンにとても感謝しています。


  最後に豆知識というか、
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 驚愕の事実ですが、 完ノンのCDジャケは実はリバーシブル仕様でした。
  お好みに合わせてご使用になれます。ライブ会場の物販にて販売してますのでよろしくお願いします。

  完ノンの次のライブは9月です。9月というとまだまだ暑いですが夏感は少ない。だけども夏を感じる曲は、聴くことによって夏を終わらせることもできる。9月の夜に夏を継続させるか終わらせるかはあなた次第。お待ちしています。


ドラム  小野

こんなこと言うてますけど若い人が羨ましくもある

  こんにちは。久しぶりにブログを書きます。日々思うことは沢山あるのですがそれらが積み重なって何かになるので、初めは思うことをポンポン書いて更新しても良いと思っていましたがブログとして落とし所を見いだすのはなかなか器用さのいる作業なのでそれもできそうになく、だからって垂れ流しでワケのワカラン文章を積み重ねるのもイヤだったので結局こういう、日々思うことが積み重なって何かになっていく感覚を書くしかなくそのために間隔が空いてしまうのは心苦しいですね。だけどあなたはこうして読んでくれるから僕は嬉しくってそれだけではっぴぃなんですけれど一番のはっぴぃはブログよりライブを見てもらうことだからブログはやっぱりライブに繋がるものでありたい。あなたがもし完全にノンフィクションのライブを観てくださったことがなかったとしてもブログはブログとしてどうしても月並みなことを書いてしまうから、だって本気で思ったことだったから、ホントはもっとちゃんとした、僕たちだけの言葉で語れるのかもしれないけれど、だけど僕はそれを、完全にノンフィクションと呼ぶ。どうかお読みになってくださいまし。

  いまからすごく月並みなことを言うよ、という前置きはこのへんで終わり。

  ライブをするたびに対バンの方たちのライブを観させてもらって勉強になるなぁと思っている。
  この国は信じられないほどの、一生掛かっても出会いきれない数のバンドが結成されていて、解散したり再結成したりしながらウン百ウン千ウン万のバンドが入れ替わり立ち替わり常に存在している。対バンするバンドのほとんどが初めてお目にかかる人たちですが、大体どのバンドもかっこいいと僕は感じている。何かがかっこいい。その何かはバンドごとに全然違う部分です。僕にはきらめいて見えるその部分を、その人たちはセールスポイントにしているのかは一度観たぐらいじゃわからないのですがとにかくバンドとは尊いもので、ステージとは奇跡がしょっちゅう起こる場所だと毎度思わされるくらいに特定の誰かではない彼らは何度でもきらめいた。
  僕は勉強したいなんて思っていない。ただ、精進したい、とかいう感覚はあるから何事も勉強しているような感じになってしまい、何事も勉強やで、という前向きな言葉は勇気づけられる。
  若い時は好きな音楽性じゃないと対バンのライブを集中して観れなかったわー。なんて、そんなエピソードそのものが若いな、と思ってしまうくらいに今は音楽性てなんや?って感じでバンドはバンドごとに音楽性が違うしライブは同じセットリストだったとしても毎回全然違うものになるのを知ってしまった程度には若くなくなった僕はどういう原理でライブの感動が生まれているかを勘繰るよりちゃんとライブを観て楽しむほうがよっぽど勉強になることも知ってしまったので、大方対バンの方たちをリスペクトしています。

  という、とても月並みな話でした。

  しかし本当に、想像している以上にバンドは数多く活動しているな。それぞれに固有の事情を抱えながら。尊い、なんて簡単に言ったけどすごいことですよ。すごいこと、てなんや。うまく言えないんですけどね、かっこいいバンドは日本中にいるから世界中どこに行っても、バンドが盛んな国じゃなくてもそうだと思う。既に歴史上には数多くのかっこいいバンドがいますが今も無数に増え続けて、何十年経っても何百年経っても増え続けていく気がする。その熱を、エネルギーの塊をリアルタイムで感じて生きているのだけど、僕がこんなこと言っても言わなくてもその事実は変わらず、揺るぎない確かさみたいなのがあって、ほんま美しい現象やなコノヤローと夜空に叫びたくもなる。僕やあなたが人生の中で知ることのできるバンドはその一握りだ。その手からこぼれ落ちたら忘れ去られる、が友達とかが思い出させてくれたらいいですね。かっこいいバンドは忘れたくない、し、バンドは忘れ去られることにおびえているけれど、それでもどうしてもうまく活動できなくて、いなくなって、忘れ去られていく。そんなこたあ知っている。だから友達とかが思い出させてくれたら最高や、と力を込めて言うてます。これからもライブをいっぱい観たいしいっぱいしたい。もしあなたが完全にノンフィクションのライブを観て何かが良かったのならその声を聞きたい。やっている人たちはその動機も様々で、求められていることと求めているもののズレだったり絶対ウケるなんて思っても必ずしもそうじゃないのも知っている。それでも芯は変わらないから何らかの信じていることを糧にして活動している。完全にノンフィクションはより多くの人に出会いたいと思っていて、しかしながらがんがんライブ活動していけているわけではないからこうやってブログで言い訳みたいなことを言うてみたりしながら次のアクションについて計画を練ったりします。来年完全にノンフィクションは10周年なんですって。数多くのかっこいいバンドの中に埋もれないようにしねえとな。より多くの人に聴いてもらってライブを観てもらえるようにしねえとな。そして声を聞かせてくれた人たちのいる町に何度でも行きてえな。
  概ねこんな感じで、月並みな内容で恐縮ですがだけど僕はそれを完全にノンフィクションと呼ぶ。すごいええ感じです。過去には感謝しかない。

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プロダクト プレースメント 3

  私が漠然と未来だと思っていた「2015」という西暦の数字が現実のものになって未来に来た気がしたかというと全くないが、地続きの生活と関係のないところで不意にこの数字に出くわすと心躍るのは本当だった。気が付くと夏らしさもなくなって、冬は夏が終わる頃から混じっているから気温が高くても景色のそこかしこがもう冬だった。私は秋が好きだから今年もわざわざ探しだして噛みしめなければならなかった。そのためには晴れていることが条件である。雨や曇りだと目に入る風景が冬に見える私は絵もスケッチの段階から屋内で描くが、実物よりも写真よりも気ままに空想を織り交ぜて描くほうだったから記憶の映像というものが下地として必要だったし、空想と言っても心象風景という類のものではなく、理由は人物を立たせたいからだが、風景は即物的なほうが好ましかった。
  と言っても一応は携帯で写真は撮っていて、私の風景ばかりの画像フォルダはこの機種になってからの約二年で膨大になっていた。一度に似たような写真をいくつも撮るからだが、写真はレンズの角度が少し変わるだけで映えてくるものが違ってくるのに対して視覚はそこにほとんど意識が向かないのを危惧してのことだ。私は視界に向かって、何も把握できていないままに手当たり次第にシャッターボタンを押していた。何か引っかかるものがもっと出てこないかと当てずっぽうに、しゃがんだりレンズを頭より高くしたり左右へ一歩ずつズレてみたり、といった具合いに。
  画面をタップして画像フォルダを上のほうへ送り初めの頃の写真を見てみる。一見風景の写真に見えるがハンバーガーショップのウインドウを背にして絹沢がいるのを横断歩道の向こうで見つけた私は画面を横向きにして遠巻きに撮っていた。彼はこちらには気が付いていない。ただ佇んでいる、といった風情だが、このとき彼は待ち合わせに遅れるかもしれない私を待っていた。私は合計五枚似たようなアングルで撮っていたらしいが、縦より横の、そして被写体である絹沢を右端に置きしゃがんで撮っていると思われる三枚目のやつが一番良い。彼が右端でアングルも低めなのはそこが商店街の入口であり背が高くどっしりとしたアーケードの立派な様子を画面中央に置きたかったからだろう。それをすべてフレームに収めようとしているらしく見上げるような角度で撮られており、ちょうど中央に商店街の奥行きが感じられる出来になっていた。あまり関係がないが日本一長い商店街、とどこかで聞いた憶えがある。たくさんの歩行者がいて、車もいた。見た人はこれを有名な商店街を正面から撮った風景の写真だ、と思うが右端のここに絹沢がいて、それも真ん中から右端に私はわざと動かしたのだからこれは絹沢の写真だ。今のところ、この約二年間誰にも見せていないのだからそれで間違いない。
  そこにあるのは2013年の空気だった。今2015年にいる私の目はこの画面に触れ、それを眺めている。そこに二年前の絹沢が写っているように二年前の私がいる、と感じるのは二年前の私の視界を今の視界で見た時にブレのようなものがあるからだ。そこにいる絹沢と同じで私はこの二年それほど目に見える変化はないのだが、この商店街のアーケードの門構えや右手のハンバーガーショップの外観がそこに行けば変わらずにある、という確かさには劣る。嗜好、呼べばいいのか、関心、と呼べばいいのか、根本の性質は変わらないのだけれど今ここで絹沢と待ち合わすことがあっても私はこういう風に写真を撮らない。一度撮ろうとはしても、このアングルは少し気取っているかもしれない、と思い直して絹沢の真正面に立つように撮る。しかし確証はない。なぜなら行為は自分の意思のみではなく外からの影響や働きかけによって決定させられる側面があるからで、科学的な論証としてではなくこれも最近の私がそう感じている、もとい感じさせられている関心の一つというだけなのだが、私は私以外の人に伝わるように「側面がある」と言ったけれど、側面と呼んだそっちばかりを見ているから大半の行為は外からの影響や刺激に対しての反応に見える。2013年の私がそうした、というこの一枚も、2013年の空気が私にそうさせた、とも言えるわけで、実際問題そんなことはどっちでもいいのは自明の理だが描くことに対して作品本位になりすぎるきらいのあったこの頃の自分を省みることに意味はある。なので2015年になっても尚この場所の空気が私にそうさせたとしても私は構わなかった。自分の好みであるかどうかは重要ではないのだ。だからこの三枚目のアングルが今の私の好みじゃなくても一番良い。作品として良いのではない。私は写真家だったことは一度もないから感じているのは写真芸術としての魅力じゃなくてシャッターボタンを押す勢いだとかアングルを定めるときの息遣いのようなものだ。

  作品は、紙の上ではなく行為のほうにある。私は絵を描いて、描き上げて満足したことがなかった私を超えようとしてきた。だが超えられているのは新しい絵を描いているその間だけだった。絵画というのはつまり描くという行為の痕跡だ。そこに現出している何かは観賞する側には百%の状態として目に映る。私は絵を人に見られるとき満足していないから恥ずかしい。これ以上手を加えようがないくらい加えた末に完成してはいるのだが、私の実力そのものが足りていないと感じる。そこに現出している何かはどこか頼りなげで物足りない。それが私の省みる作品本位な考え方というものだった。私は現出させる行為を高めるべきであって痕跡の見栄えを気にしても仕方がないから、描いているその間にどれだけ集中できるか、私は芸術は行為であり態度のことだからトランス状態に持っていくのはそういえば絹沢や游児のバンドのライブもそうだ、一枚の絵に掛かる時間の長さやタッチの重さや引かれる線の速さが必ず痕跡のなかで息づく、あるいは脈打つ、集中を欠いて手を抜くとバレる、作品はそれら動きのなかにあり、痕跡から遡り創作の現場を辿っていく型式のライブなのだ、という考えを絹沢に話したのは2014年の春頃だったと記憶しているが、それ以降新作は発表していない。もちろん絵は描いている。しかし作品としてウェブ上にアップしたりギャラリーに持っていったりはしていなかった。仕上がった後の出来の良さについては全然意識しなくなった。描いたものを見返すこともあまりしない。基本的に残さないからたまに気に入ったものがファイルに挟まれているがそれは最近お前の調子はどうだと訊いてくれる何人かの親切な友達に見せるために残してあるようなものだった。
  描かなければ、と思う気持ちはそれまでと同じでずっとある。しかしそのなかにあった作品を世に出していかなければならないという部分が薄れていた。私にあったそうした部分はつまるところ自我、エゴというやつで、もっと端的な言葉で言えば見栄を張っていたのだ。以前の私は私が何者かであることを確かめたがっていたが、いつからか絵を描くことで何者かであるかのように振る舞っていた。それらは微妙なバランスのなかで保たれる。はっきりと自意識を掲げて何かを表現する芸術家になりそびれた私は創作する支えのようなものはむねのなかにしかないから人に褒められて浮かれていたかった気持ちの行き場にも困っているしこのままでは何者にもなれないのだがその状況が相対的に自我を救っているのは確かである。もちろん描いている間に自我のことは頭にないのは言うまでもない。だから、いよいよ本当に手を抜かずエゴを棄てて描くという行為に没頭することでしか成就しない命である。シンプルでとても良かった。
  日々描く、ということをしていると私はさっきも言ったが絹沢や游児といったバンドをやっている友達のことをよく考える。厳密には彼らの、楽器を弾いている姿だ。ライブでは絹沢はベースを弾いている。游児はギターを弾いて歌っているが、高校の時はタイコを叩いていた。その時絹沢は同じバンドでギターだった。私は楽器が弾けないから、どうしてそんなに複数の楽器を弾けるようになるのか、そもそも一つの楽器を上達していくプロセスを知らないのでコツを掴んだらどれも同じだよと言う彼らの言わんとするところが全然わからない。どうしてギターとタイコが同じなのだ。意のままに音を出すためには身体が慣れるまで練習しなければならないところまではわかっている。その割に二人ともピアノはできる気がしないと言う。絹沢はバイオリンの購入を検討していて、游児は河原でトランペットの練習をしている。元々は一つの楽器に興味を持つところから始まったはずである。その一つ目が肝心なのではないか、私は思う。初めての、技術的なことを一つ一つ段階を踏んでクリアしていく、その日々が演奏することのイメージとして蓄積されていく。何でも初めは初歩の技術的なことから入る。技術はただの技術でしかなくて、それだけでは作品を作れないように彼らもきっと演奏を見せるときそれは一つの支えのようなものでしかない。ライブショウは技術発表会ではないけれど、楽器を習得することはそれを磨くことから始まる。その時点では使いこなせていないから楽器はまだ道具ではない。そいつの特異性を見つけて自分の肉体を寄せにいく段階だ。

  表現する方法が掴めてくると格段に楽しくなるだろう。私は自分が高校時代に絵を描き始めた頃のことを懐かしみながら推測している。だから全然違うかもしれない。

  初めは自分のことを表現するのは自然なこととして、そこから先、何を描くか。演奏の技術、表現の幅や深み、自分の持っているものを総動員することを創作のよろこびとするなら、今自分が興味のあること、ずっと関心を抱いていることをそこに込める。2015年で彼らは楽器を始めて十年近く経っている計算になるから常にその気持ちが備わっているはずである。それは遊んでいる時なんかに部屋で聴く、彼らがなんとなく弾くギター、作りかけの歌、がそうなっている。楽器に触れてきた日々、というものが物理法則を無視した厚みとして感じられる。不思議なものだな、と思う。感動はそういうところから不意に湧く。絹沢の歌詞は情景を俯瞰したようなものが多く、比べると游児は主観的な視点で歌っている。これも書いてきた日々がそう形作った暫定的な結果だ。絹沢はバンドでは歌わないがカラオケなんかに行くと、がなるように歌う游児とは対照的にはっきり声を出して丁寧に歌う。陳腐な表現で彼に悪いが、透き通るような声をしていて、音も外さなかった。
スピッツみたいだ」
  私は言った。
「そんなに上手かったらボーカルをやってる。それに、」
  絹沢はマイクを置いて「あんな高いキーは出せないな」と言った。游児のブルーハーツが始まって、もう一人稔という、同じ高校の友達がアジアンカンフージェネレーションの曲を入れた。私は絹沢にスピッツを歌ってほしくてキーのあまり高くない歌を予約しておいた。稔は私たちはカラオケはあまり行かないがたまに行くといつも決まって部屋の照明を落とす。自然と視線は画面に流れるがそれを意図してのことじゃなく、稔はもっとムード的なものを出そうとしているのは確認を取っていないが今ここで厳密に証明できなくたってそうに決まっている。私を含め他の三人はカラオケボックスにおけるムードには無頓着だったから、稔がいないと部屋は明るく、入った時に照明が落とされた状態ならそのまま歌い始めるし、必要になったらツマミを全開にして明るくする。と言っても実際はそんな出来事は今までに一度もない。私たちは稔がいなかったらカラオケに行こうという発想にならなかったからだ。稔がカラオケに行こうと言うから行く、そんな日もあるけれど、稔と絹沢と游児と私で遊んでいると誰ともなくカラオケに行きたくなって発案した。
  稔のアジアンカンフージェネレーションのモノマネが終わって私は次のスピッツの曲を歌う。結局絹沢はこの時期のスピッツはあまり知らなかったから歌えないと拒んでその『水色の街』という曲は私が歌うことになった。私は歌っている時は気持ちが良いがそれが他人に気持ち良く響いていないことはコンプレックスとしてあったから歌うことには恥ずかしさがつきまとうけども、カラオケに来たからには積極的に歌うようにしてる。問題は出している声の周波数が低いからピッチが悪く聞こえる、ということだそうだ。だから私の『水色の街』は全然スピッツじゃなかった。ピッチが低い私のスピッツは本来の透明感を失ってなんだか不穏な気配のするストーカーの宣誓みたいになっていたのだろうけれどそれがウケた。行き慣れたメンバーでカラオケに行くとみんな気ままに自分の歌う曲を選ぶことを楽しむから人が歌っていても半分程度にしか聴かないのでうまく成立する。絹沢は私の『水色の街』の間に別のスピッツのヒット曲を入れて次に歌ってくれたのだが、このときばかりは耳に集中して全部聴いたがやはりちゃんとスピッツになっていたので安心した。
  トイレから戻ってきた游児が私の知らないクロマニヨンズを歌い始めて、さて次は何を歌おうかとそのことで頭をいっぱいにする私のただ映っている視界のなかには照明が落とされた薄暗い環境と言えども様々な情報があって、熱量を帯びた游児は立ち上がる、タッチパネルで曲を選んでいる稔のメロンソーダがなくなりかけている、絹沢はストローでアイスコーヒーを啜りながらそのグラスを見つめている、画面に流れる映像は今日何度も見ている使い回しのもので私はこのカラオケ用の映像を撮影する現場を想像してみたりするのが好きだ。游児のクロマニヨンズで聴こえないけれど絹沢は稔にテーブル越しにグラスを指して何か言っているのが視えているのは私が游児のクロマニヨンズを半分程度にしか聴いていなかったからで、もう半分は次に自分が入れる曲を考えていたけれど半分以上残っているように見える私のウーロン茶は実はほとんどが溶けだした氷なので絹沢がインターホンでドリンクを注文するなら私も便乗したい、と絹沢を見る。視界の端では立ち上がっていた游児がさらにソファーの上に乗った。咄嗟に足元に目が行って、ちゃんと靴を脱いでそうしているのを確認して視線は絹沢に戻る。俺も、と、私はグラスを指差してアピールし絹沢が頷いたとき、歌詞の流れる画面の右上に稔がたった今入れた次に歌う曲のタイトルが表示されたのが視えたけれどアルファベットだから読めてはいない。
  稔が入れたのは『PROFESSIONAL  IDOL』という完全にノンフィクションの新曲で、私も知っている曲だったがカラオケに入っているのは知らなかった。「お、完ノン」と游児が言った。「指でギター弾いてるPVのやつな」と、ジェスチャーした。普通ギターを弾くジェスチャーはピックを持っているから右手は拳の形になるが、游児はストロークの度に指を伸ばして手の甲全体が見えるように弾いた。「あれって爪をコーティングしてるんでしょ?」絹沢はインターホンを耳に当てたまま言った。忙しい時間帯なのか、従業員不足なのか店員がなかなか出れないらしかった。タイトルと作詞作曲が出てすぐに曲が始まる。作詞作曲をしている人と歌っている人と爪をコーティングしてギターを弾いている人は確か同一人物だ、と私は表示された別所英和という名前を見て思い出した。私は完全にノンフィクションは知ってからすぐ活動休止になったからよく絹沢たちとライブを観にいっていた時期と重なっていて観てみたいと思っていたときに観れなかった。音源はデータで持っているから聴いていた。最近はめっきりライブに行っていないし日常的に音楽を聴く時間もかなり減ったのだが、いつ間にか休止が終わっていたらしく二年近くぶりにリリースされた完ノンの3rdは西宮で遊んでいるときにHMVでたまたま見つけたから買った。ジャケットが前作と色違いになっていて、その抹茶プリンのような緑色の裏ジャケには収録曲のタイトルが明記されている。その一曲目が『PROFESSIONAL  IDOL』だった。このときも私は他の曲のタイトルは一目ですっとわかるがアルファベットだといちいちつまずく。読む、という気持ちで字を追わないとプロフェッショナルアイドルだとわからなかったその日のことが稔がカラオケで選んだことによって思い出された。私は指でギターを弾いている完ノンのPVが流れることを期待したが、映像はカラオケ用のこれもまたしょっちゅう見るやつだった。
  音源を聴いてみるとこの読みにくいタイトルの曲が3rdのなかで一番好きだが完ノンの曲はカラオケにはその一曲しかなく、それをカラオケで発掘した稔と、何度もライブを観たことがある絹沢と游児がいるなかで例えば次にカラオケで遊ぶ機会に私がこの曲を入れても良いものか、気が引ける、という気持ちになるのは稔が歌っているのを聴いて私も歌ってみたいと思ったからだ。私はこのメンバー以外でカラオケに行くことは滅多にないし、そんな機会があったとしても気兼ねしないメンバーはこの面子だけだから歌いたい曲を入れる、という発想とは別のことを考えながら選曲するから『PROFESSIONAL   IDOL』を思い出さないのではないかと思う。だったらいっそのこと、と、私は自分の番でも『PROFESSIONAL  IDOL』を入れた。二曲続けて『PROFESSIONAL  IDOL』だ。私は、
「俺にも歌わせろ!」
  と勢いで誤魔化しながらマイクを握って立ち上がる。
「間違えて入れたんじゃないのかよ!」
  と游児が言った。歌い終わったばかりの稔がオンマイクでゲラゲラ笑ったのが響いた。
  歌ってみると思ったよりキーが高く、私は
メロディーの低いところは大丈夫だがサビの裏声になる箇所から声は裏返ったままフラフラ揺れてピッチが低いから私以外は聴いていてもっと気持ち悪かっただろう。稔はモノマネが得意で、モノマネが上手いということは歌のピッチに関しては抜群に良いということだから稔の後に歌ったのもまずかったがそれは関係ない。私は歌が裏返っている間に従業員が絹沢の注文していたドリンクを持って入ってきたときに恥ずかしさが増幅したから自分でもやっぱり気持ち悪かったことを認めざるを得ないし従業員は絶対に顔には出さない、と言うか、耳に入る客の歌なんかにこころを乱されないように仕上がっているから聞こえていないはずなのだが、しかし私は游児と絹沢と稔以外の前で歌っていると思ったら恥ずかしくて、そうすると游児たちに対しても恥ずかしい。『恥ずかしいこと思い出してまた恥ずかしくなって』という曲が完ノンの3rdに収録されていたがそれはこういうシチュエーションを歌ったものではなくて、私は次の曲の『2015年感覚』が二番目に好きだ。タイトルを見たとき、この人にも日々の積み重ねがあったのだろうと想像した。それは地続きで私がしている暮らしに唐突に垂直に刺さった感じで、不意に誰かの、完全にノンフィクションや別所英和という人物の日々だけでなくて、知らない誰かも、游児も絹沢も稔も、2015年まで各々に固有の何らかのものを噛み締めて生きてきたんだよな、という感慨だったが、こう言葉にできたのはカラオケを出て家に帰ってる途中にだったからHMVで裏ジャケのタイトルを見てから一ヶ月半近く経っていたことになる。私は自分が完ノンを全然歌えなかったから歌は駄目でも絵はずっと良いものが描けるようになったよ、と言っているだけかもしれない。


音の塊が飛んでくる

  こんにちは。完ドラの小野です。

  未来も過去も無い、瞬間があるだけ。といったような歌だったり、瞬間のなかに永遠があるといった言葉にそうだと納得して、刹那主義という解釈には陥らずひたすらひたむきに信じてきた幾年かの時間がそこそこの長さになってきて、そんな歌を歌うその人ももう30年以上も歌うことを続けているという事実がこの思いを助長させてもいるのだが、たとえ全てが瞬間の出来事に過ぎないとしても、何かを続けるということに肯定的に思いを馳せてみるのは良いことだと最近は思っております。
  そもそも僕は少年時代そういったロックやパンクにシビれてきたクチではあるけども、それを地でいく人生に憧れはしなかった(いい歳になった今でこそ憧れてしまうけれど)。

  昔、当時僕がやっていたバンドで対バンさせてもらった平均年齢で言っても一回り半くらいは歳上のバンドの人たちが海外の由緒あるプログレのフェスに出演を果たしまして、そのリーダーの方と何度かお話させてもらったのですが、「長く続けてるとね、何かにはなれる」と一度言ってはって、僕はその言葉の意味は勿論やけど、その、おっしゃったときの表情がなんとも良くて忘れられない。
  きっと、気を遣っていただいたのだと、いい歳になった今では若い人に気を遣う感じはもっとリアルにわかるが、22、3歳だった当時の僕にもそれは感じた。そのバンドはいわゆる売れ線とはかけ離れた音楽性だから、CDセールスの数字で結果を語るのは野暮なことだし、年齢も大人だから同世代のファンがいたとしても毎回は来れない。若い客層のライブハウスでは音楽が素晴らしくても「すごいおっちゃんたち」という認識が勝つために若者はびびってしまいがちだから、行く先々で動員が増え続ける、なんてうまい具合にはいかなかった(多分)。平たく言うと、形として成果というものが見えにくいバンドだっただろうなと思う。
  音楽そのものが好きで、なかでもこういう感じ、こういう方向性、手触り、世界との距離感、世界像、文体、音質、音圧、グルーヴ、などの理想的なビジョンがあって、それを複数の人間でバンドという形でやり続けるとさらに予想外の発見や進化がある。続けるというのは「夢を追い続ける」とか「目標や目的を完遂するために維持している一定の状態」のことではなく、ただそうありたいと望んでそうなった、それだけで完結している状態のことだ。つまり「売れたい」や「音楽でメシを食いたい」とはまた別のことで、人間は自我があるからそっちの自我に類する感情と折り合いをつけながらバンドを続けるわけだけど、個人の欲ではない何かが確かにある、と色んなバンドを見てて思うし、これは芸術をやる人ならみんな知ってる当たり前のこととして話を進めたいのですが、創作というのは音楽なら音楽に、というか、広い意味ではどんな芸術表現も芸術文化そのものに敬意を払っていることが肝心で、己のためだけに表現されたものは芸術に成らない。文化に敬意を払うというのはそれ自体が世界に働きかけていること、世界に奉仕・貢献しようとしていることで、不特定多数の人がそれに触れて感動できるのは作り手に共感したのではなく作品に共感したり刺激を受けるからだ。で、そのバンドはそこの点をクリアしているから僕は初見の一発目の音を聴いていきなり感動したのだと今では言葉で言えるが、当時はそんなところまで考えてないからとにかくすごいとか好きとかしか言えなかった。個々人の演奏力が超一流なのも、それらを持ち寄りバンドの音として鍛え上げ得た由縁も芸術に対する一途な敬意の顕れだったに違いない。
  リーダーのNさんが「長く続けてるとね、何かにはなれる」と言った時の表情は、目の前にいる浅い付き合いしかない若いバンドマンの僕にたった一度だけ見せた隙だ。とても穏やかで嬉しそうだった。バンド続けてみるのも悪くない、人生捨てたもんじゃないよ、という意味合いで言ってくれたとても励みになる言葉だと解釈しているが、僕にはその時のNさんのストレートな表情が語っている以上に物語っていたことがなんとも良くて忘れられない。

  ちょうかっこいい。

  この時、僕は完全に作品云々よりその人柄にシビれている。素敵な作品をつくるから素敵な人だと感じていたこっちの印象を追い越していく。こんな佇まいでいれる人はそりゃあすごい音楽をつくるし素晴らしいライブをするわ、という風に思い直す。何に感動したかなんてどうでもいい。感動したという事実が大切だ。

  こんなことを思い出して書いているのはつい先日対バンできたカッパマイナスがいるからです。
  カッパマイナスも、もう随分昔になるけど初めて観た時からヒーローで、そりゃあもう衝撃で、別所君上野君は既に観てたから教えてもらったのがきっかけですが、そりゃあもう、僕らの周りは騒然となった。
「音の塊が飛んでくる」「とにかくかっこいい」「ライブこわい」「喋ったらめちゃめちゃいい人ら」
  僕らより少し歳上なのもあって、かっこいいお兄さんの代表みたいな風に僕は勝手に思ってて、今回対バンが決まった時からずっと楽しみにしていたのですが、個人的にはライブを拝見するのは何年か振りで、それでもあの姿がそこにある、カッパマイナスやぁ、というカッパマイナス特有のものが変わらずあって、昔みたいに何度も拳を突き上げた。
  ヒーローはこの日からスーパーヒーローになり、カッパマイナスはカッパマイナスの美しさが続いている、ということが今の完全にノンフィクションにとって刮目すべき事実だから、どんなに周りのバンドが解散して入れ替わろうが自分たちがそうありたいと望んでそうなっている状態を続けていく所存だ、と、どのバンドも思うのと同じように完全にノンフィクションも続けていく所存だから、僕らが誰かにとってのカッパマイナスになりたいなんていうおこがましいことは全然言いたくなくて、長く続けてると何かになるらしいそれを確かめに行きたいとかそういうのでもなくて、とにかく続けていたいと思った。完全にノンフィクションが維持され、続いている、それだけで完結していると言えるような、そんな美しさがあってもいいじゃない。
  今はまだ新鮮なこんな気持ちが、今後またもっと充分になじんできた頃合いにこの手のブログを再び冷静に書こうかと思いますが、現在のたぎる思いはこれはこれでそのまま書いておこうと決めて今日は書きました。読んで下さってありがとうございました。
  活動のすべて、一つ一つの所作を大切にしていこう、と先日メンバーで話し合ったのはここだけの話。毎度その姿勢を忘れずにと思っておりますので今後とも完全にノンフィクションをよろしくお願い致します。


  ドラム小野

プロダクト プレースメント 2

  目の前を通り過ぎていく寿司は話しているときは意識されないが、私は手元の寿司がなければ一瞥くらいはする。昔と違って回転寿司も生産性より鮮度や品質を重んじるところが増えているそうで、今の時代いかやまぐろも乾いたネタを見つけることは難しく、元々そんなものは当然食べたくはないのだが意地が悪いのかついそういう"アラ"を探してしまう幼かった頃の癖が抜けないでいた私は太鼓原游児と絹沢のしている音楽の話が一種の専門的な領域に入ったのを機に寿司を眺めていた。ほぼカウンターしかない店なので三人横並びだ。私は真ん中ではなくて良かったと寿司を見ながら思った。三人のなかで一番右にあたるこの座席は店内を走る寿司のレーンはコンベアがグランドピアノを上から見た形に似ていて、正確には左右反転した形だが、その反転した最高音の鍵盤から低音になっていく向こう側まで見える、角の席だった。寿司は反転した低音から高音にかけて流れてくる。つまり私めがけてやってきて、目の前で回れ右して絹沢たちの方へいく。角の愚図つくヤツがいると混線して玉突き状態になり、内側はすべて板場になっているから私はすぐ近くにいる板前が交通整理をするのかと思ったが、たとえ角から角の寿司約十五枚がかちゃかちゃと音を立ててレーン上を騒がしくしても彼らはそちらを見ないしそこに意識はない。黙々と、彼らは寿司のことでも私とまったく違う角度から捉えている様子で立ち働く。近くて遠い存在である。隣で熱弁している絹沢と游児も、同じ音楽のことでも違うことを違う言語で捉えている、話が噛み合っているように見えるときほどそう思う。そして二人もそのことは諒解済みであった。それは現在、広く人々のこころに浸透しつつある、と私は感じていた。誰もが互いの理解を超えたところを持ち寄って接しているのは同じ理想を追い求めずとも疑いようのないことだった。寿司は平常のスムーズさを取り戻している。真鯛の隊列がレーンを流れていく。游児は会話しながら、ほとんど見ていないように取って食べる。絹沢の方に身体を向け熱心に喋り寿司を一貫食べるがほとんどが一皿に二貫だ。食べ終わっていない皿が三皿あることから、話の途中で手元の寿司がなくなるとレーンを一瞥して惹かれたものを選ぶという私の食べ方とは違うことがわかる。絹沢はレーンの寿司には手を伸ばさず、最初に直接板前に注文した何皿かは食べたが主にビールを飲み、身体は正面のまま首から上を少しだけ相手の方に向けて相槌を打つ。これは逆隣の私の存在を気に掛けてもいるはずだがだからという理由ではなく、三人の関係性によるところが大きい。游児がよく喋るからいつものように聞き手役に回っているのだ。
  レーンの寿司を食べないで思い出したように店員を呼び何皿かを注文して握ってもらったものだけを食べる絹沢は私が無言でいることには気が付いていた。この場合、会話に参加しないという形で現場への参加を果たしている、と十年前の私は思った。だが今ははっきりと違っていて、私は寿司を食べにきていて、一緒にいる彼らの口元は音楽の話に忙しく、むしろ寿司から遠ざかっている、と目で見たままの事実を疑わずに信じることができるから絹沢は安心した。その安心感は何らかの気配となって游児にも伝播していた。
  絹沢が私からしたら唐突に「すみませぇん」と店員を呼んだ。こういうとき絹沢の声はイヤに大きくはきはきとしていて私はいつも可笑しいが彼に言わせれば私の声はこの店のようにざわざわした空間だと埋もれてしまっているらしく、周波数の問題なんだそうである。元々の声量のなさとカツゼツが悪いことも関係しているようにも思えたからそれを指摘されてからは極力シチュエーションに応じた発声を心掛けるようにはなったがこの話は特に誰にもしていない今思い出したまでのことで、やっぱり絹沢の店員に注文する声が普段とトーンもボリュームも全然違うから私は急にやられるとびくっとして可笑しいから好きだ。
  絹沢は私と二人だと口数はもう少し多い。口数というのは単純に、頭数が減れば増える、という類のものでもないからこれも三人の関係性によるところが大きい。その点游児は私の知る限り誰といるから口数が増えたり減ったりする、ということはなかった。游児だって喋りたくない時と場合や、そんな相手もいるだろうから単に私が知らないだけだとするべきである。それを差し引いても游児はおしゃべりで、自分の話をするのが特に好きだ。絹沢は自分の話をしたがらない上にひとの話を聞くのが楽しいタイプだから私と二人でいるときに増えている分の口数は単純に自分に関する内容ばかりでもなく、せいぜい好きな食べ物やバンドの話くらいだが、見えている世界について徹頭徹尾俯瞰されている。俺はこうなんだ、という話し方をほとんどしない。しかしそれらを語るとき彼はいきいきとしていて、つまり自分で取捨選択して喋るのだからたとえそれが時代——人々の趣味嗜好やその移り変わりについて——や魂やアニミズムのこと、長芋の天ぷらの話、完全にノンフィクションというのはどういったバンドなのか、といったことを俯瞰で語っても、絹沢は自分の話をしているに等しい、と私は感じている。同時にそれは私がここで絹沢や游児という親しい友達の話をするのは自分の話をしているようなものだ、と言っていることにもなる。

「だからさ、みんな寿司が食べたい、それは寿司がすべてだと思ってるからだろ?」
  私は唾が勢いよく游児の口から飛び出すのを絹沢肩越しに見えた。「こうシャリがあるだろ? それは確固たる寿司のルールではある。だからネタで勝負する。でも元々そんなルールは音楽に、ことロックミュージックにはなかったんだよ。シャリというフォーマットにネタを貼りつける、なんて。マーケットが理詰めで動くから作る側の思考が支配されてんだよ」
「まぁそういう市場に囲まれて育てばそれが好きで音楽を始める子がいるのは当然じゃないの」
「そこなんだよ」游児は絹沢の受け応えに反応する食いつきが早い。割り箸を咥えたり振り回したりして汚いが店内でそう思ったのは私だけだった。「そいつらは寿司のうまさは知ってる。むしろ専門的に熟知している。そして信じている。でも寿司のうまさしか知らない。それがすべてだと思い込んで疑わないからな。そら寿司は俺も好きだ。でももっとあるだろ他にもよぉ、うめえもんが」
「うーん、パエリアとかか?」
「寿司屋に来といてパエリアはどうかと思うぞ絹沢」
  游児はそう言うが魚介類がたくさん入っているイメージがあるからだと、逆隣の私が笑ったので絹沢はわざわざこちらに振り返って言った。私も意見を求められる。「よく聞いてなかったけど、魚は寿司だけじゃなく焼いたりダシを取ったりできるっこと?」
「全然違う。俺が言いたいのはな、あ、全然ってこともねーか、別に魚介類じゃなくてもいいし寿司である必要はどこにもないってことだよ」
「そりゃそうだ」
  私は首肯した。絹沢はビールを飲んだ。
「俺はねーー」游児は釣られてジョッキに手を掛けたがほとんど飲み終わっていたのに気付いて瞬間手が止まったが結局残り数滴を飲んで、「ロックは様式美じゃないって言ってんだよ」と言ってレーン上の炙りチャーシューのにぎりを取って一貫口に放り込む。「寿司が食いたきゃ寿司屋に行け」ともぐもぐやりながら言った。
  現に私達は寿司が食べたいから寿司屋に来ていた。それは一皿135円の回転寿司だった。この店を選んだのは今日は私と絹沢が貧乏だから予算の都合と、前にきたことがある、という安心感からだ。私たちは生ビール450円を何度かおかわりした。この店でなければならない、そんな積極的な理由ではなく条件が合えばこの店でなくても良かった。
「だからみんなライブに行くんだろ」
  と絹沢は半分呆れたように苦笑いした。その様子はずっと前から堂々巡りしていることを思わせた。「市場がそうで、需要がある、だからそれが場末のライブハウスだろうが末端のアマチュアバンドだろうがその市場に習って型式ができる。ごく普通の現象だろ。そこにお客が集まる。誰も悪くない。べつに寿司に喩えなくても游児の言いたいことはわかるよ」
「俺はね、客を驚かせたいの。寿司屋というライブハウスに来て寿司以外のもんが出てきたらびっくりするだろ? 例えばパエリアがよぉ。でもね、そのライブハウスってのは元々全然寿司屋じゃなかったんだ、みんなが寿司屋だと思ってるだけで。何でも屋だったんだ。そのことにあいつらは気付いていないからパエリア出されたら帰るんだよ、どうなんだよそれ!」
「何でも屋って響き、なんか懐かしいな」
「でもあいつらきっとさ、パエリアを握ってエビでもムール貝でも何でもいいけど乗っけて、寿司の形にして出したら食うんだよ」
「あー、ラテン音楽とロックの融合、みたいな?」
 「スペイン語で無理矢理古典落語する、みたいな?」
「そう。融合、みたいなことよ!」
  游児は絹沢の古典落語は無視してねぶっていた割り箸の先を私に向けた。「あいつら寿司の形になってたら酢飯じゃなくてもいいんだよ」
  絹沢は游児がひどく大雑把な意味で社会に憤慨していることを察して仕方がないから苦笑いをしている。游児も絹沢もバンドマンだが私の知る限りロックロックと口にするのは好まない人間ではあるが、それはロックという概念に執着していた中学高校時代があってのもので、成人して自分のバンドを持つとそこのところとのニュアンスに個人差がある。この場合折り合いの見つけ方の違いで、それはそのまま性格の違いで、延いては顔や体格が違うのと同じことだ。と、私は音楽はやらないから二人を見ていて面白い。
  実際作る側の主張は受け手に届かないことも多い。表現は伝えるためにあるのではない、ということなのかもしれない。伝えたければ伝わり易い言葉と演出が肝心だ。ロックで伝えれることは、ロックの演出の範囲に過ぎないのか。「そうでもない」と游児は言った。「そういったものを可能にする音楽のことを、俺はロックって呼んでる」
  その意味は多分正しい。言葉の意味は時代とともに横滑りしていくから、ロックというのはとっくに音楽のジャンルを表す言葉ではなくなったけれど、言葉が変わっただけで実際は変わっていない。そういった概念があるとすればそれはそれぞれのむねのなかに昔からあったものだ。
  それにしても游児の言ってることはめちゃくちゃだった。寿司を食いたきゃ寿司屋に行けと言ったが、彼が内側に抱えてる怒りは寿司を出したきゃ寿司職人に弟子入りしろということではないのか。話はさらに続いて、店がなかなか閉店しないからおかしいなと思って聞いたら朝までやっている店だった。午前一時前だった。ちょっとずつでも嵩んで会計はそれなりにいくだろう。「ビール飲み過ぎたきもちわるい」と言って游児はトイレに立ったのだが帰ってこない。
「すみませぇん」
  絹沢は例の私がびくっとする大声で店員を呼び会計を頼んだ。「ちょっと游児呼んでくるわ」と私に言い残してトイレへ向かった。游児の財布がなければここを払いきれないがそういうことではなく酔うとよくトイレに座って眠り込むから絹沢はいつも起こしにいく。そのあと私と絹沢は游児をタクシーに乗せるまで両脇を抱えて歩くのはいつものことだった。
  独創性を求め独自性にこだわる分、游児の言っていることは時に支離滅裂だったり論理が破綻しているが、その点は論理を超えていくのが芸術の現場だと信じれば済む話だった。ただ少し、自己主張が激しくて私は疲れてきていた。どんな方法を取ろうがそれは自由で、取り組む態度が悪ければ透けて見えるのが表現というものである。私は自我を捨てられたとき、本当の個性、オリジナリティというものが出るのではないか、というのが絵を描いていて思うところだが、それはオリジナリティに固執しているとそこから遠ざかるということなのだろうか。職人でも噺家でも何千何万と稽古を重ねて伝統的な型にオリジナリティを吹き込む。敬意を持って見ればそういうことになる。私はそれはここの板前一人一人にあるのかもしれないと思った。今日の私たちは寿司的なものを求めてやってきた通りすがりの客でしかなかったが、例えば「今日はあの店のラーメンでなければ納得できない」といった食事への想いがあるように、絹沢は私をライブに誘い、游児は游児で完全にノンフィクションのライブに行ったのだ。
  游児は今日完全にノンフィクションのライブを見なければいけなかった。あの店のラーメンでなければいけない日のように。私たちと合流して寿司をつまむまでは良いが、酒に弱いからビールで悪酔いして管を巻いて、トイレで吐いている。帰って寝て起きて、記憶はあるだろうか。合流したときは酔っていなかったからライブの記憶はある。ライブが、作品が、受け手にとってその後どんな風な刺激になるのかまでは作り手は感知しきれない。
  誰も、出口を知らないまま結論を求めて喋り合ったその場で得られる「結論」とは別に、またその機会を繰り返し繰り返して機が熟して何かが何かになって、また熟すると何かがさらに何かになっていってを繰り返し繰り返している「それ」を抱えている。みんなで出した結論めいたものより、よくわからない原料を孤独に鍛錬して形や使い道を色々試み続ける「それ」、そっちに本当の、新しい、自分にとって最高の結論を望んでいる、そのような気配がした。ロックも寿司もラーメンも、結局それぞれのむねのなかにしかない。

「昨日パチンコ買ったから大丈夫」
  目を閉じて游児は言った。寿司屋を出てすぐタクシー乗せ、金はあるかと私が訊く前のことだった。住所を告げて右ドアの窓に頭を付ける。その白いタクシーを見送って私は数分前からじりじりと思い始めていたので絹沢をラーメンに誘おうとしたが、いつものあの店はもうこの時間閉店している。とは言うものの途中から寿司より酒だったので腹は減っていた。なので誘う。「いいよ、俺もラーメンが食いたい」
  とりあえず、ラーメンの形をしていれば良かった。こころは満たせれなくても空腹は満たせる。絹沢も今きっと本当はあの店のラーメンを食べたいと思っているに違いなかったから、私と同じことを思っていた。その空腹感はむねのなかにいつもあるあの店のラーメンだったから、タクシーで眠る游児にも何らかの気配となって伝播していた。



  

プロダクト プレースメント 1

  見通しのいい道に差し掛かるとあとは一本道なので自転車の速度を緩めた。私が走っていたのは車道の方だったが路駐が多かったのとさっきまでの速度に飽きていたのとで道幅の広い歩道へと前輪を乗り上げる。イヤホンからは馴染みの薄い曲が流れ始めていたが音量は絞ってあるのでその音像まではわからない。大体、自転車を乗りながら音楽を聴くのは道路交通法違反じゃないの? と友達に言われたことがあったので調べたら、周囲の音が聞こえる程度ならば違反にならないらしい。しかしそれを確認するためには警察官の耳による判断が必要なので見つかったらすぐに呼び止められるだろう。
  ほどなく自転車を降り、それでも音量は絞ったままだったが、目についた自動販売機で缶コーヒーを買おうとした私は押しボタンへと伸ばしたかけた右腕でイヤホンのコードを引っ張ってしまった。抜け落ちたイヤホンはぽとりと地面に音をたてた。耳から離れた瞬間肩越しにいくつもの車道を通り過ぎていく車の音が近く大きく輪郭を持つ。街の音がする。街の時間が流れ始める。それは身体が刻んでいた時間を瞬間的に覆うから、身体の方は自然と折り合いをつけようとする。そして耳が裸になるだけで空気に色が付いて実在感が出る。少し秋の気配がしたがそれを感じ取っているのは鼻の方で、鼻にイヤホンをしていたのなら話は別だが私はつい今しがたまで秋の匂いは欠片も知覚していなかった。風は肌全体で感じるがこれも耳で音を聞くより目で視ている感覚で、ゴミが舞ったり不動産屋ののぼりがなびくのを見るのではなく風そのものが視える。空気の速い流れが色になって現れる。滲む水色に黄色い細い線が何本も走るような風だ。そうしている間に体内で脈打っていた小さな単位の時間はあくまで生理的反射として街の歯車が動かす大きな時間に通分され折り合いがつく。ぽとり、という音はそんな中で聞こえた。
  自転車を押していた私は荷物が多く、学校の鞄として使っているリュックサックと画材を入れているショルダーバック、その二つの素材の異なるストラップが胴体に巻きついた格好で、自転車の右ハンドルには絹沢に返すためのCDが三十枚ほど入った百均の紙袋が引っ掛けてある。なのですこぶるバランスがとり辛い。私はその重量に加えCDは借り物なので神経を使うから肩の凝りを帰宅する頃には感じるだろう、とわかっていた。自販機の中で冷えていた一つの商品が吐き出され、釣り銭口の小銭は自転車を支えている私の右ポケットに、だらしなくぶら下がったイヤホンはジャックが挿さっている左ポケットのプレイヤーのところにねじ込まれた。私は後でそのコードの絡まりをほどいたり丁寧に巻き取ったりリュックサックの収納ポケットに戻したりすることの煩わしさを思うと少し気持ちが沈んだが、今はバランスを保つことと約束の時間が迫りつつあることと肩や脇腹に食い込む鞄のストラップにかかる荷物の重量による倦怠感、暑さと運動による汗、それらに対処していかなければならない。イヤホンのことは後できっちり片付ける。そういう性格なのだから。取り出し口に横たわる缶コーヒーを手に取りパーカーの方のポケットに一旦仕舞うことにして歩き始めたが、なぜ今この買い物をしたのだろうとふと思う。イヤホンが外れて意思と無関係に、制御を超えて街の持つ時間とリンクしてしまったことも影響しているかもしれない。私はさっきまでの私の動作を今度は街の側に立って最大公約数的に考える。時間も迫ってきているのだから後でゆっくり買えば良かったんじゃないかと、そうすればイヤホンも耳から抜けることもなかったし荷物が重いことを今更意識することもない、必要以上に汗もかかない、時間のロスもない。今の私にはなんとなく、としか言いようがないが体内に流れていた時間の中ではそれでも実際的な喉の渇き以上に缶コーヒーを買って飲む、という形で休息を取ることへの強迫観念があったのかもしれない。マンネリへの恐怖と言い換えてもいい。それくらいここは、距離にすると家から遠かった。

  私はここに来るのは初めてではないのに全然知らない街みたいだ、と思うことがよくある。そういう時、絵を描きたくなる。と言っても、その場所の風景を描くのではない。それは写真で済ませる。どうしてかはわからないがそこが初めて来た知らない場所のようになると描きたい絵がぼんやりと浮かんでくる私はできることなら毎回そこに立ち止まって直ちに作業を開始したい。私が描くのは一見すると何の関係もないように他人には映るだろうシチュエーションや人物の表情だ。見えている風景からの連想で描くのだが、物語のワンシーンに近い。緻密に構成された物語のシーンではなくただ単にシーンだけがあるのだが、ただし、そこにドラマを感じさせるものでなければならない。それが一枚の紙に色を重ねて表現される。見慣れた自分の部屋でも学校までの道のりでもそれは起きた。そして絹沢が立っていたのもそんな場所だった。何度も待ち合わせに使っている商店街の入口のハンバーガーショップの前に立つ絹沢は雑踏に紛れて足を止めて窺う私に気付いている様子はなかった。
  ところでぼんやりと浮かんだ描きたいイメージは絵として実在し始めない限り存在したことにならない、と、私は常日頃思うその頻度でまた思う。輪郭はおろか、匂いや手触りを持たない。音も聞こえてこない。ここで言うそれらは五感で感じるものではなくて視線が絵にぶつかること、つまり視覚によって喚起されるイメージのことを指すが、そういう類のものは個々人想像力に委ねられるものであって私の絵は私の想像のままに描かれるだけなわけだからやっぱりそれ自体に意味はないんだ、とまた思う。意味は求めるべきじゃないし、地球上にたった今新たに絵が生まれることにも人類の営みの歴史のなかに明日描く私の絵が加わることにも意味のようなものは何一つない。にもかかわらず存在したことにならないと気が済まないのは私の体内ーー脳内?  いや、体内とするべきだ——で芸術もまた日常生活の大半を占める雑多な思念——浮かんでは忘れるの繰り返しの運動ーーと同じカテゴリーに属している、ということに罪深さを感じるからだった。芸術は恐らく人間という動物が種として人間らしくいるためにどうすればいいのか真剣に考える唯一の現場で、しかも意図されてそうなったのではなく習性としてそうであるのが本当のところだろう。そして現場内での行為に没頭できる人間はそこで嘘をつけないようになっている。謂わば使命感を持っていて、表向きは社会と折り合いをつけるために大人達は「趣味なんです」という言葉を使うが芸術で生計を立てていなくても没頭できる人は毎度何かを犠牲してでもそれを完遂するという覚悟を持ってやっているに違いない。そう思うと意味がないということには少なからず意味があるのかもしれないという気がしてくる。
  端的に言うと「魂を込める」ということなのだがこの表現は使い古されていて魂は込めるものだと慣用句化してしまっているからこれだけでは何も言い得ない。それが時代のムードというやつなのかもしれない。迂遠な言い回しは今や敬遠されるばかりでなく露骨に嫌がられるようにもなった。それは一部の小説愛好家達の嗜みとして根強く実験と研究がなされてはいる。私は文学にはさほど精通していないがそのようにして趣向を凝らされた文章表現には興味があったので、それを自分の絵に反映できないかと考えているのである。

  初めはズドンとくる詩が好きだった。一発の言葉ですべてを突き刺したり包み込む言葉。それらは絵に近い。まるで言葉で絵を描いたような印象だったのだ。逆に言葉を絵で描くことを画家はしただろうか。言葉はいつの時代でもそれそのものではなかったはずである。りんごという名詞も、言葉で書かれればりんごという概念になってしまうような、そういうランボウなところが言葉にはあるよな、と絹沢は言った。ここで私が出した絹沢という名詞は特定の人物なのでりんごほど抽象的ではないにせよ、それがいつの絹沢だったのか私の記憶の中では判然としないのだが二年以上は昔のことだったのでどんな状況でどんな手振りで話していたか、その姿は記憶のどこを探っても見受けられず今では言葉だけが私の中にある。絹沢の実体そのものではなく絹沢という概念の一部分である、ということだ。それを絵で表すことが私にはできるだろうか。有名無名にかかわらず、今までこの世に存在した画家達はそういった試みをしてきただろうか。そのくらいのことは恐らくある、古い時代からあった、というのが私の直観だが、それが最近の興味事なのである。
  言葉の表現であるところの詩と言葉のような抽象性を纏った絵が歴史的にどちらが古いか、ということは問題ではない。昔のことに言及しようとする時、私たちは論ずる。体系的な史実のまとまりから得られる推論による考察。それは現場ではないし、現場にそれを持ち込むことは敗北しているようなものなのだ。芸術は思考の堆積や痕跡のキラメキでありそれは光や音の力を借りて光速・音速でもたらされる、と絹沢は言った。そのあとはこう続く。
「思考のスピードだけではそれを芸術性にまで昇華できないしキラメキを発するまでの思考がなければ作品は作れないよ」
  これは概念になった絹沢にこう言葉を続けさせて理解しやすいように私が捏造したものだ。本当はもう少し違った赴きのことを彼は喋っていたのだろうか、実体の絹沢のことは忘れているが、これが意訳だとしても私に都合のいい方に引き寄せている点では同じだ。絹沢は音楽をやっていて作詞もしている。私は絵を描いている。とても近く、遠い存在だ。時と場合によるのだ。
  いつもは酒を飲んで話をし、話題も酒も移り変わるにつれ徐々に酔っ払っていくのだが今日は趣向が違って、彼が私に聴かせたいという何とかというバンドのライブを見ることになっている。初め誘われた時、私は貧乏だから金がないよと断った。しかしチケット代は持つと絹沢は言って、彼も金持ちではないはずだがそうまで言われたらたとえ場所が遠くても貧乏な私は自転車をこぎ出さねばならない。頭の中の地図によると彼の住まいはそう遠くない地点なのでついでに借りっぱなしになっているCDも返すことにした。絹沢には知らなかった音楽を色々と教えてもらっている借りがある。

「游児も誘ったけど、今日はカンノンのライブに行くんだって」
「かんのん?」
  私はすぐに寺を想像した。仄暗いお堂で光輝く観音像がいて人々がそれを熱狂的に囲み、やんややんやと喝采を送っていて、絹沢同様高校時代からの友人である太鼓原游児はその最前列にいる。しかしライブと絹沢が言うのだからこれは絶対に違うだろう。この思いは常識的な価値基準によってではなく私の中にあった絹沢の概念がそう思わせていて、もし私の想像の通りの風変わりなイベントならばもっと丁寧な説明をするか、楽しそうにしたはずである。
「完全にノンフィクションのライブだよ。略して完ノン。うっかりしてた。俺も知ってたら三人でそっちに行ったのに」
「なんじゃそりゃ。変な名前」
「あれ、貸したCDの中にあったと思う。確かここにーー」
  絹沢は私から受け取っていた三十枚ほどCDが詰められている百均の紙袋を探る。「あった。これ。これがファースト。俺らは青盤って呼んでる」
  それは確かにデータを入れた覚えがあった。ジャケ写は一面、古い型のパソコン(だと思う)の前面の写真で、濃い青色の画面上に『※この音源は完全にノンフィクションです。』と白い文字で書いてある。どうやらタイトルらしい。私は絹沢から受け取ったそれは眺めているうちに妙な感覚になったので何事かとしばらく、と言ってもほんの一、二秒、その違和感の原因を探ったら、CDケースの仕様が逆開きになっているということに気が付いた。一般的にはCDケースは開いている状態だと正面から見て右側にディスクがあるが、これは左側にある。要するにプラスチックケースの上下を逆さにして裏ジャケが仕込まれていて、歌詞カードも左から挟んであった。改めてそれを見た私は自分のノートパソコンにデータを移す際にこのバンドを聴いたか憶えていないが、ひねくれてるな、と思った。絹沢にCDを返し、どれ、帰り道にひとつ聴いてみるかと思ったが、私は『※この音源は完全にノンフィクションです。』を既に聴いていたのだった。音量を絞ってあるのでその音像は全く掴めていないが、左ポケットのぐちゃぐちゃにねじ込まれたイヤホンコードを直そうとした時にそれを知った。音楽プレイヤーのボタンに手が触れてディスプレイに表示されたからだ。

  援交少女 after the 2011/完全にノンフィクション