ハッピードムドム by完全にノンフィクション 小野恭介

完全にノンフィクションというバンドのドラムスでございます。バンドのことをより楽しんでもらえればハッピーです。ドムドム。

MINAMI WHEEL 2016 出演します

  完全にノンフィクションがミナミホイールに出演することになりました。
  三年ぶり二度目。
  三年前、完全にノンフィクションはSUN HALLで演奏した。僕は客席からそれを観ていた。確か最前列だったと思う。ステージに幕が下がったまま行われたサウンドチェックは開幕戦というテンポの速い曲で、ヒリヒリと緊張感が伝わってくる。音が止んで僕は隣にいた山下君に、
ハイハットのオープンクローズが、」
  と言った。
「え?」
ハイハットのオープンクローズがカンペキやな!」
「おお!」
  山下君は笑顔だった。当然僕も笑っていた。そこから約五分、幕が開くのを待った。待つ間、いつもと違ってまるでこれから自分がライブするみたいに、少し緊張したのを憶えている。
  そうして幕が開いて、完全にノンフィクションはいつもと同じSEで登場し、とてもいいライブをした。僕は始めこそ緊張していたものの、観ているうちにいつもと同じとてもいいテンションになっていた。本番で演奏された開幕戦もまた、ハイハットのオープンクローズがカンペキだった。

  そしてなんやかんやあって三年経った。

  とても言い尽くせないくらいたくさんのなんやかんやがあったことを、ミナミホイールという言葉に触れると思い出す。半年以上前になるが難波ロケッツ閉店、という言葉を聞いたときもそうだった。新しい曲も増えたし、昔の曲がリアレンジされたりもした。別所君の使用ギターは長年ずっと同じだが弾き方が三年前と全然違うし、少しマニアックな話だがサウンドの重心が低くなったし。よう見たらドラマー違うし。まぁ上野君は相変わらずかっこいい。中音に関しては三年前と比較できないけれど、昔より音のど真ん中にいる気がする。
  これらなんやかんやは日頃からひしひしと感じているわけではなくて、普段バンドは生活に溶け込んでいるため目標なり課題なり感じるところと向き合うばかりです。そして完全にノンフィクションというバンドを考えたとき、なんやかんやあるけど変わらないものがある。それは言葉でうまく説明はできないことだけどその変わらない部分が僕は好きで燃える。
  以前にも触れたことがあるけれどこの世にはすげえバンドがたくさんいる。僕的にはわくわくするようなバンドがたくさんいて、音楽シーンに詳しいわけではないからまだ知らないバンドも山ほどいるが、経験的にまだまだ山のようにいいバンドがいるんだろうな、と確信している。バンドにはそれぞれ固有の成り立ちがあるからそれはまるで人との出会いのようでもあるけども音楽はあくまで情報としての側面が強く、しかしそれは演者の言語やシュミや生き方を抽出したものだから初対面でも煩わしい前置きが不要でいきなり通じてしまったり受け手の感受性の方向次第でもっと共鳴したり高揚したりむちゃくちゃ笑えたりじんわり泣けたりする。初対面のひとらやのに。ミナミホイールはたくさんバンドが出る。知ってるバンドもいるし僕自身はまだお目にかかったことのないバンドもたくさんいる。好きなバンドでリレーしていく楽しみ方ももちろん最高だけど知らないバンドに出会うのもライブサーキットの醍醐味だと思います。来場される方々のシュミや生き方にぴったりくるような知らないバンドに出会える場。本来規模の大小を問わずライブイベントとはそういものであった、と、今更ながら喋ってるうちに再認識。

  完全にノンフィクションの成り立ちはとてもシンプルで高校時代の軽音部のメンバーで構成されている。
  色々となんやかんやはあった。別所君と上野君は高校の外でヴィジュアル系バンドもやっていた。完ノンの前身バンドは初めはオリジナルメンバー三人だったがなんやかんやあってベーシストが何度か変わったが上野君は戻ってきてバンドは完全にノンフィクションとしてリスタートした。
  そしてライブの日々。いくつもの素晴らしいバンドとの出会い。音楽的実験。グルーヴの進化。全国リリース。「バンドプロジェクト」への移行。海外遠征。全国ツアー。活動休止ワンマン。これらを僕は近くで見ていた。ライブを見に行った回数も当時ならぶっちぎりで一位だった。よく別所君が運転する車でドライブした。それは作曲のインスピレーションを得るためだ。飲み屋で一緒に新曲のタイトルを考えたりもした。メンバーになる以前にも何本かミュージックビデオに出た。言うなればバンドの「裏側」を目の当たりにしてきたわけだけど、僕が加入してからのなんやかんやも含めて来年で10周年を迎える完全にノンフィクションの歴史は僕たちの出会ってからの15、6年間のなかに組み込まれていることにもなる。なのでそれらはバンドのためというより友達のためでもある。僕がメンバーになったのも二人と友達だったからだ。
  上野君がツイッターでミナミホイールは時季的に高校の文化祭を思い出す、と言っていて熱い。14年経ってまたあの空気を感じることができる、と。これは個人個人のむねのなかに宿ることだが、バンドには来年10周年のタイミングがあり、熱い。この二つの熱を融合させることが相乗効果を生むと信じる。そしてそれは完ノンが獲得し循環させていくべきエネルギーだ。特定の条件下にしか生まれない天然資源のようなもので、学生時代の友達同士でバンドをやるのは別に珍しくも新しくもないけれど十代の間に共有した感覚はバンドをやるうえでしっくりくる。バンドの成り立ちはバンドごとにオンリーワンだし、演奏のグルーヴも単に音の重なりだけじゃなくて耳や目で知覚できないレベルでオンリーワンが巻き起こっているのはどのバンドを観ても感じるが、それは必然性というやつだ。それは音や姿の形のなかに顕れる。僕の個人的な感情が今回のミナミホイールとたまたま重なってくれたおかげで完ノンの成り立ちだとかにも目を向ける機会になった。もっともっと続いていくと今以上にまるでバンドをやるために出会ったとしか思えないくらいになるが、やっぱり違うのだ。僕にとってはただ友達とすげえわくわくするようなことをやれている貴重な場所の一つで、それらは有機的に結びつく。
  それにしてもこの世のバンドたちはどこへ向かうのか。多分ほとんどのバンドがそういうことじゃなくてエネルギーの塊になってそこにいる。どこへ向かうでもなくたどり着いた場所が本当の世界だ。心斎橋のそこかしこが本当の世界だ。電車やバス、自転車や徒歩で皆様に心斎橋にお越しいただくけども、ミナミホイールに点在する世界の数々は時間毎にまったく違う表情を見せ、日頃の心斎橋よりも異次元への扉が開かれている。そういうSF的なエリアだ。ライブハウスとは素晴らしい場所で演奏が鳴ればそこにいる人の記憶やこころの場所と繋がる。たった一つの音楽がそこで聴いた人の数だけ高揚したり笑えたり泣けたりする多様性をはらんでいる。
  三年前は真正面から完全にノンフィクションを楽しんだが今回は二人の背後に回り背中を見ながら楽しませてもらおうと思います。